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ここは静工電気科昭和30年卒の活動をお知らせするページです。
 

日誌

静工電気科S30年卒
2016/03/08

静工S30年電気・S34年機械卒 恩師と懇親旅行

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 (岡崎宿に徳川家康の生涯を訪ねる)
恩師 手島英真先生が会長を務める「東海道ネツトワークの会21」の会員の方々と一緒に徳川家康生誕の地 岡崎の名所・旧跡を散策しました。 

静工S30年電気1組卒9名・S34年機械2組卒6名を含め総勢約37名にて出発、恩師との旧交を温めながらの旅でした。

手島先生は、静工在籍16年間で3回担任科を担当(S30年電気。S34年機械、S37年電気)、担任されたクラス会にはすべて出席され、出会い・人の和を大切にしてきました。   昨年「米寿」のお祝いをされ、本年は、「東海道ネツトワークの会21」の会長に就任されたのを機に、教え子一同に健康で生き甲斐を持つ道標・邂逅になれば・・・の紹介があり喜んで同級生有志で参加しました。

 当日はあいにくの雨天になり、散策に難儀する場所もありましたが、恩師の元気さは驚くばかりで、毎日を有意義に過ごそうと努力している姿勢はびっくりポンだ。本年傘寿となる諸君よがんばれ・・・と言っているようだ。これからは、恩師を中心として縦の同窓の和(輪)を広げていくことも必要ではないだろうか。

 

当日の散策ルート

  開催日;平成28220日(土)

  三河安城駅→六所神社→八丁味噌の里→岡崎城→伊賀八幡神社→大樹寺→滝山寺→滝山東照宮→三河安城駅

                                        (白鳥茂夫)


15:16 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2014/11/17

静工昭和30年卒電気1組・喜寿を迎え老兵が集う

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平成26年10月30日の夕、静岡の山奥・葵区足久保の山荘「鈴桃」に老兵13名が集まった。卒業時50名の内、既に物故者11名のため39名に連絡を取ったが大半が歩行困難、食事制限等で不参加淋しく残念であるが無事「喜寿」を迎えた事には一同感謝・感謝。
 恩師手島先生を囲んでの宴会は、健康不安の心配もどこえやら、カラオケでの大音声(山奥であり遠慮はなし)よくよく見れば老兵も可愛いものだあきれる盛り上り、楽しい一夜でありまだまだ大丈夫である。
 特に来年米寿を迎えられる恩師の元気さには びつくり、朝食の熱燗一本には参いった。我々生徒達も負けては居られない。翌朝、横浜在住の2名に次回幹事を託し散会した。
                          幹事 勝見禎男


11:22 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)
2014/06/22

「あれから60年」

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静工電気科昭和30年卒  海野昭彦
1955年3月、紅顔の美少年5名は県立静岡工業高等学校電気科を卒業した。
世の中は朝鮮戦争が終結し、第5福竜丸の被爆事件があり景気は非常に悪かつた。いわゆる鍋底景気と言われていた時代であつた。
 このため卒業はしたものの就職口は無い。担任の手島先生(ご健在)は5月、6月になっても毎月学校に「求人状況」を見に来るようにと我々に言われていた。皆それなりに苦しい時代だった。そんな中で何とか就職し希望に燃えて元気いっぱい働き始めた。しかし世の中はものすごい早さで動いて行く。真空管ラジオはトランジスターラジオとなり、テレビ放送も始まった。技術者の卵たちは、またまた技術革新の荒波にもまれて行く。しかし、質実剛健の校風にのっとりこれにも真向から立ち向かっていった。世の中の荒波が強ければ強いほど友情の絆は深まっていく。毎年5人そろって旅行に出かけたものだった。
 そんな中で職場の事や世の中の事、家族のことなど良く話し合った。特に労働組合の事は当事者として話題になることが多かった。しかし若い技術者達は世間の事に対しては、多く謙虚に謙虚に受け止めるのが常だった。
 時は止まってはくれない、時間は瞬く間に流れていった。仕事関係ではみな中堅技術者から一歩一歩その階段を上って行った。
 足立は昭和30年代にアメリカへ。楳田はこれまたロシアへ出張した。望月はテレビ局技術会社の役員となり、岡嵜は製紙会社で北海道から九州まで出張した。海野は北海道で活躍し動物写真で日本一になったこともある。皆が皆それぞれの道にがんばつて立派に生きた結果であることに間違いはない。忙しい中でも連絡は常に保たれ「行くぞ」といえばいつでも「オーヶー」と答える。そんなことが遠慮もなく60年も続いたのである。そして今、喜寿を迎えて5人揃って元気である。
 願わくば米寿、白寿と健康で迎えたいものである。静工精神は60年経っても身体の中にしっかりと住み着いているのだ。2万8千人の静工健児に幸多かれ!


12:06 | 投票する | 投票数(4) | コメント(0)